2010年2月27日土曜日

オレンジ #8

2階を1周するのにもそこそこ時間がかかるが気づいたら2、3周同じ所を回っていた。次に1階の内部を覗いてみる事にした。1階はかつて戦いのあった場所のすぐ目の前だ。そこでは地下の隠し部屋のようなものがたくさんあり細かく仕切られていた。多分この中に猛獣を入れ試合が始まると地上に放っていたのかなと。コロッセオ内には当時発見された猛獣の骨やのコロッセオのシステムを表したような模型も展示されていた。
私はグラディエーターという映画が好きで何度も見ている。この場所はその雰囲気を感じさせてくれた。もともと映画好きではなかったが、この映画は一度見てからずっと好きだった。最近ではよく映画を見るがグラディエーターはその中でもやはり素晴らしい映画だ。
私はコロッセオを十分に堪能した後、向かいの路店へ向かいコロナビールを買い、近くに腰掛け外側からのコロッセオをおつまみに贅沢なビールを楽しんだ。
コロッセオの隣にパリの凱旋門に似た建物がある。
これはローマに現存する最古の凱旋門、ティトゥスの凱旋門だ。それをくぐり200メートルぐらいだろうか。進んで行くとファロ・ロマーノというかつて政治が行われていた場所の遺跡があった。ここがまたとてつもなく広い。ファロ・ロマーノは坂が多く登ったり下がったりの繰り返しで大型パックを背負った私には登山でも行っているかのようだった。遺跡に関してはこれだけ綺麗に保護されているのに驚いた。
ある一種の町のようだった。例えるならば、ドラゴンクエストのような町があったのではないかと感じさせてくれる。

そして私は修学旅行生でにぎあっていた団体をすり抜け次の場所へと向かった。

2010年2月26日金曜日

オレンジ #7

念願のコロッセオへ到着したのは9時前でまだオープンしていなかった。早く来たせいか全く人がおらず、いるのはお土産屋が準備しているか鎧を着て剣を持って「写真とりましょう」という人達だけだ。私はコロッセオの周りに座り込み、ずっとコロッセオを見つめていた。しばらくすると少しずつ人が増え始めコロッセオの中に入っている人を見かけた。
私は入り口を探し出し、コロッセオの内部へと潜入した。
コロッセオの隣にあるフォロ・ロマーノと合わせチケットは10ユーロ。この金額が安いのか高いのかよくわからない。しかし、始めてここに訪れた人はフォロ・ロマーノとコロッセオで半日は遊べるだろう。
コロッセオに入り、外側の通路を看板の指示通りに進むとエレベーターもしくは階段があり、上へとあがることができた。階段は当時の石の階段でスロープがきついためみんなエレベーターを使っていた。私もその流れに便乗し2階へとあがった。そのまま進んで行くと柱越しに広がりのある景色が見えてきた。
ひらけた方へ向かって行くとそこには偉大な景色が目の前に現れた。
かなり大きくそして歴史を物語っている。かつて人々がこの場所で歓声をあげていたのが浮かんでくるような光景だった。私はただひたすら呆然と眺めていた。多分その時口を開けていたかもしれない。朝日が差し込み綺麗なコロッセオの中で感動して見とれているだけだった。
かつてこの場所で猛獣と人が戦ったり、剣闘士同士の殺し合いが行われていたり、今では考えられないような事が起こっていたと考えると不思議で複雑な気持ちになった。この場所で愛する人を戦いで亡くした人もいるのだろう。その人達が亡くなった場所がいまでは世界各国から集まる観光スポットになっている事を当時の人が知ったらどう思うのだろう。
今も昔も違う意味でコロッセオは人々を魅了し続けてやまない存在になっているのだろうと感じた。
2階を歩き始めいろんな角度から今自分が見ている景色を写真におさめた。
また私も当時の人に対する気持ちと自分の行動に矛盾はあった。

けんちゃん&ようこちゃん結婚式☆

ヨーロッパから帰ってきて怒濤の日々が続いています。
なかなかオレンジも更新できなくて他のブログも書けなくて。
たまにはオレンジ以外も書きますよ!

大学時代から友人のけんちゃん&ようこちゃん。
二人はいろいろあったけど遂に結ばれました。
本当に嬉しいです。けんちゃんは先輩だけど先輩というよりタメの友達みたいですごく気が合う仲間。
今は離れているけどいつも福岡に着た時は毎晩のように一緒に遊んでいる友達です。
また今回の結婚式は昔からの友人が集まってそれだけでも最高の結婚式。
数々のレジェンドを持つDAIZO氏等いつも一緒にいた先輩方が集合していました。
DAIZO氏とは車でノリで東京に行ったり数々のメモリーがあります。
今回のヨーロッパの旅で今回の結婚式のためにロンドンで購入したお気に入りのネクタイ。
親友の映像の魔術師松尾氏級のおもしろい映像を披露してくれたけんちゃんの先輩。

そしてけんちゃんが素晴らしいプロポーズをみんなの前で行いました。
奥さんが望んでいたプロポーズを。
私の目の前に現れて一輪のバラの花束を持って跪いて結婚しようという夢のようなプロポーズをみんなの前でした時は感動しました。
けんちゃんがプロポーズの事をずっと悩んでいた事も知っていたから、より感動しました。

その後はけんちゃんのおじちゃんによるめちゃくちゃおもしろいパフォーマンスで大盛り上がり。デカイ杯でみんなで絆をかわそうとの事で巨大おちょこ出現。会場にいたほとんどの方が飲んでました。
無事結婚式も終了し二次会も終了し、なぜか三次会は餃子のニノニ。
ここでは串山大先輩のオンパレードでした(笑)
けんちゃん&ようこちゃん本当におめでとう!!仲良くね☆
最高の結婚式でした☆

オレンジ #6

私は部屋に戻り、急いで支度をしYMCAへと向かった。YMCAへ迷いながら辿り着き、部屋の状況を尋ねたが空いていない。まさか空いていないとは思っていなかった。しかし、最終的にはYHに行けばなんとかなるだろうとも考えていた。YHの場所は調べていたが、遠い場所だったため、とりあえず現在地から近そうなコロッセオへ向かう事にした。
コロッセオへ向かう途中にもう一つ行きたい場所があった。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂だ。この教会のエピソードで356年、「今晩雪が降った地に教会を建てよ」との聖母のお告げを夢に聞いた当時の教皇リベリウスは、真夏の雪の奇跡があった場所にこの聖堂を建てたそうだ。今でも毎年8月5日には「真夏の雪」が再現されているそうだ。すごくドラマチックで夢のような話だ。
ホテルからしばらく歩くと広場についた。その広場こそサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の前にある広場だった。
サンタ・マリア・マッジョーレはとてつもなく美しく、一つ一つの作りが精巧で当時この建物を建てている時の人々の思いが伝わってくるようだった。初めての感覚だった。この美しさをどのように表現していいかはわからないが、これが私がイタリアで初めてみた歴史的建築物だった。実は私は夢中になり大聖堂の後ろ側を見て感動していた。途中で気づき、その後表側を見て、これが本物だなと再確認した。
その後、私はコロッセオへと向かった。昨夜ホテルでフリーマップをもらっていたためその地図をたよりに歩き続けた。なるべく大きい道路を目印にして進んで行く事にした。
しばらく歩き、少し疲れたためすぐ近くにあった公園に座りタバコ休憩をしていた。
すると一人の黒人のおじさんが近づいてきて話しかけて来た。「タバコくれ」私は強い口調で「NO」と言った。するとそのおじさんはすぐ私の側から離れて行った。
私は休憩をし、再び歩き始めた。ある遺跡が目につき近いなと感じ始めた。すると目の前に白くぼやけた特徴のある形が見えてきた。
コロッセオだ。
私は気持ちが高鳴り疲れを感じさせない早歩きになっていた。さすがに大型パックを背負ったままだったため走る事ができなかった。この時私は無心に逆光で白くぼやけたコロッセオへと向かった。

2010年2月21日日曜日

オレンジ #5

ホテルのアテンドまで行くと眼鏡の少しずれた如何にもハリーポッターにでてきそうなおじさんが「タナカ?」と話かけてきた。私はよくわかったなと思ったのと同時に私が到着したのが遅かったのだなと感じた。チェックインを済ませ、フロントにあったローマのフリーマップをもらい部屋へと向かった。部屋はとてもボロく、かなり寒かった。シャワー、トイレがついているだけでも良いのかもしれないが。私はビールを飲みながら先程もらったマップにいろんな所を書き込みだした。
途中シャワーを浴びたが風呂ではあまり熱いお湯が出ず、冷えきっていた体を暖める事はできなかった。それに加えドライヤーもなく無駄に長い髪の毛は体温を奪う一方だった。
シャワーを浴び再びマップの前に向かい書き出した。
移動の疲れのせいか時差のせいかすこしづつ眠くなってきた。テルミニ駅周辺を夜行動するのには不安があったため、朝早起きして次の日の宿を探そうと考えた。そして私の旅の初日は終了した。
夜中の4時前に寒くて目が覚めた。あまりの寒さにダウンを着て寝る事にした。しかし、ダウンを着ても寒い。なぜなら日本のようにボリュームのある布団ではなくシーツを一枚体に被せるだけのような布団だ。それに加え天井が高いのも寒い要因の一つだろう。暖房はあるが全くきいていない。結局私は6時に完全に目が覚めてしまった。
朝食でも食べようと思い、1Fの朝食の場所へ行くとまだ開いていなかった。7時半からのようだ。
私は昨夜、今日泊まるホテルを考えていた。一番近くて便利の良いYMCAへ泊まろうと考えていた。そのため少しでも早く荷物を預けたかった。しかしこの時間では動く事もできず、一度部屋に戻り朝食の時間を待った。
ホテルの作りはとても古いが全てがアンティークのようで見ているだけで楽しかった。一つ一つが日本のホテルとは違った。
時間になりBREAKFAST ROOMへ向かうと私より先に2組が朝食を食べていた。スタッフは誰もいなかった。私が空いている席に座り、パンとラスカルを食べていると60代ぐらいのおばちゃんがはっきりとはわからなかったが「コーヒー?エスプレッソ?カプチーノ?」と言ったような事を聞いてきたので私はコーヒーと答えた。その後おばちゃんはコーヒーらしきものと牛乳の2つのコップを持ってきた。私はとりあえず混ぜてみる事にした。
多分こういう事だろうと思いおばちゃんに尋ねるとカプチーノにしなさいと言われた。
そのカプチーノはなんだか薄い気もしたが私はそのカプチーノを飲み続けた。

2010年2月20日土曜日

オレンジ #4

フィウミチーノ空港、別名レオナルドダヴィンチ空港に到着し、ローマの中心駅テルミニ駅まで移動しなければならなかった。列車のマークに従い進むが人が少ない。この道であっているのか不安になり目の前にいたイケメンのイタリア人に声をかけた。
「テルミニまで行きたいんだけどあってますか?」
そのお兄さんは笑顔で頷いてくれた。10分ぐらいだろうか地下を歩き続けていると駅に到着した。するとそのお兄さんは「ここでチケットを買ったらいいよ」と親切に案内してくれた。私は彼にお礼をいい、チケットを買った。チケット売り場は臨時で作っているような所で日本のようなチケット売り場ではなかった。しかしそこには数名並んでいたため私もそこに並んでチケットを購入した。チケットは黄色の紙に駅員というより普通のおじさんがサインのようなものを書いた紙で手書きのチケットだった。
日本を出発する前に「水には注意しろ」と言われたのと同じように「列車のチケットの刻印には気をつけろ」これも日本を出る前に散々言われた言葉だ。私は、手書きの薄いチケットとは思えないような紙を持ち、その噂の刻印機を探し始めた。
ホームにそれらしいものが並んでいた。私はその機械に入れてみる事にした。しかしどう考えても紙の幅が違うし、怪しい。しかし、これに間違いないと思い何度もトライした。そうこうしている内にテルミニ駅行きの列車は出発しそうになっていた。もうどうにでもなれと思い走って列車に乗り込んだ。
テルミニ駅まではレオナルドエクスプレスという直行便で約30分。
東京羽田空港からの臨海線に似ていた。
30分弱でテルミニ駅へ到着。
その時の時刻は22時過ぎ。テルミニ駅はグラフティが多く、それだけで興奮していた。壁に書くグラフティはよくある。しかし、列車に書くグラフティは日本ではなかなか見れない。それも現在使われていない列車に書いてあるならわかるが、普通に普段走っている列車に書いてあるのが驚きだった。
初日は、到着が遅いためホテルを準備しておいた。しかしそのホテルがわかりづらく一人でブラブラ歩き出した。内心早くホテルを探し落ち着きたかった。人が少なく誰も歩いていない。中心地なのに人があまりいない。私が路地に入ったりしたのが原因かもしれない。
そう思い再び大きな道路へ出た。路店があったため、飲み物でも買うついでにホテルの場所を聞こうと思い立ち寄った。
お店には中東系のライダースを着た若いお兄さんがいた。私はビールを頼むと同時にホテルの場所を聞いた。するとその路店はホテルのすぐ側だったらしくすぐに答えてくれた。
駅からホテルに向かうまで何度も、いかにも柄の悪い兄ちゃん達が私に対して「シガレット!!シガレット!!」とうるさかった。人によっては私の姿を見て馬鹿にしているような若い兄ちゃん達もいた。テルミニ駅周辺はとてもダークな雰囲気が漂っていたが何の問題もなく無事にホテルへと到着した。

2010年2月19日金曜日

オレンジ #3

その後、またすぐワゴンの女性がやって来た。私はドリンクと思い、「スープで」と言うと「オーケー、オーケー」と言われ、和食セットが出て来た。機内食だったようだ。
私の座る席は3席並んでいるが、私と逆の通路側の80’Sロックアーティストを彷彿とさせるような中年の男性は洋食セットでハンバーグだった。和食セットは韓国風混ぜご飯といったところだろうか。もちろん隣のおばちゃんは和食セット。私はおばちゃんをチラ見しては食べ方を盗む、ロックアーティストを見ては羨ましがる。
その時、次こそは「チキン」と誰が聞いてもわかるように綺麗に発音しようと決めていた。
お腹もいっぱいになり、眠りにつく事にした。どれぐらい時間がたっていたのかはわからないが、そんなに時間がたっていなかったにも関わらず、またスチューワーデスに起こされた。
お菓子タイムのようだ。この時、私はピザを食べた。ピザともう一つ何か選べたが今回はピザが当たりだったようだ。
そして再び眠りにつき、しばらくして起こされた。今度は何か思うと、また食事の時間らしい。何度飯がでてくるのか。食べては寝ての繰り返しで身動きもとれない。これは体に悪い。
そう思いながらも今回は迷わず「チキン!」と言うとおいしそうなチキンがでてきた。
納得のいくご飯を食べた後、ふと外を見るとアルプス山脈の近くを飛んでいた。どこまでも続く地平線のようにどこまでも続いて行く山々。スイスに近づけば近づく程山並みは激しく、そして色合いも変化していった。
17時30分ミラノに到着。私は20時にローマに着く便に乗ったはずなのに、ミラノに着いてしまった。周りの乗客はドンドン降りている。もしや乗り間違えたのかと少し焦りスチュワーデスにチケットの半券を見せながら尋ねると一度給油するようだ。私は、てっきり違う飛行機に乗ってしまったと思い焦っていた。一度飛行機から降り、ゆっくりしようと思いラウンジを探した。日本でユーロに両替をしていたため、コーヒーを買おうと思い自動販売機へ向かった。
しかし自動販売機にお金が入らない。私は何度か心みたがうまくいかず、遂に断念して別の所で買う事にした。
搭乗口近くのカフェではメニューが見当たらなく、列の前に並んでいた人が頼んでいたものと同じカプチーノを頼んだ。買い物は案外すんなりといった。お釣りを騙されていないか確認した所、問題なかった。異国という事でかなり用心深くなっていた。

再び飛行機がローマへ出発する時間になり、ミラノを出発した。
ミラノからローマまでは約1時間で到着するため、目的地まではあと少しだった。私は飛行機の中でイタリアの夜景を楽しんだ。日本の派手な夜景とは違い、イタリアの夜景は静かにオレンジ色の明かりだけが輝いていてとても穏やかな夜景だった。
そうして私はヨーロッパ旅の最初スタート地点ローマへと辿りついた。

2010年2月18日木曜日

オレンジ  #2

transferの標識に従い進んで行き、保安検査へと向かう。そこでジャケットを脱ぎ、ゲートを通ると一人の検査官が声をかけてきた。
「水は持ち込めない。」
福岡空港で水を1本買っておき、あとで飲もうと思いバッグに入れておいた水が問題だったのだ。水と言われたので私は先ほど機内から持ち出した小さな水を出した。
「それじゃなくて大きなボトルはないですか?」
「これですか?」
私は新品未開封のペットボトルを検査官に奪われてしまった。
その後、彼は私に対して今度は、
「あなたのフリースかっこいいね。」
その時着ていたのはパタゴニアのフリースだった。私は悔しかったのか
「ありがとう。でも私はノースフェイスのスタッフなんです。」
そう言うと彼は、
「そうなんですか。ノースフェイスは韓国にたくさんあるんですよ。でもパタゴニアは韓国にないから買えないんですよ。」
と笑顔で答えてきた。
私は、それならパタゴニアが欲しいのも仕方がないと思った。
その後も彼は仕事をしながら私に声をかけてきた。
「あなたの時計素晴らしい。私と一緒だよ。」
彼は私と同じSUNTOの時計をつけていた。しかし彼がつけていた時計は私の持っているNAVITECというモデルよりグレードの高いモデルでCOREの金縁のSUNTOだった。ちょっとだけ負けた気がした。
最後に私は検査官に対して、
「I'm アウトドアマン!!」
とわけのわからない英語をいいサヨナラした。彼は笑顔で見送ってくれた。私はあとで考えるとなんか恥ずかしい一言を言ったと感じた。

私はエレベーターを登りローマ行きの搭乗口へと向かった。1時間程、時間があったため歩き回ろうと思い、まず搭乗口を探し周辺をうろつき始めた。
今度はイタリアまで直行で長い飛行時間になると思い懲りずにまた水を買った。ついでに先ほど飲めなかったビールも。

うろうろしているとすぐに機内に乗り込む時間になった。私は、窓際の席の48Kという席だ。日本から出てくる時に隣に座る人も出会いだし、この飛行機に乗った時点で旅の流れが変わるかもしれない。そんな事を考えていた。常に旅の流れが変わる出会いがあるんじゃないかと思っていた。例えば、隣に座った人がイタリア人だったら仲良くなっておもしろいところを聞こう等と考えていた。
機内に乗り込み自分の座席まで行くと韓国人のおばちゃんが私の席に座っていた。
私はおばちゃんに対し、
「すみません、私の席です。」
というとおばちゃんは周りの仲間達に
「ほら、駄目じゃない。もう嫌だ。最悪。」
と言ったようにダダをこねて席を動こうとしない。私がじっと待っていると彼女は動いた。
おばちゃんは私に一切謝る事もなく、むしろお前のせいで私は窓際に座れないといった形相で私を見てきた。
私は無事に自分の座席を確保する事に成功し、少しがっかりした面持ちでビールを開けた。

2010年2月17日水曜日

オレンジ #1

異国の雰囲気が漂い始めたのは大韓航空機の中だった。
数分前までは、日本語だらけだったが飛行機に乗った途端、周りは韓国人ばかりだ。スチュワーデスも韓国らしい制服だ。日本人が乗る事が多いという事もあり、日本語のアナウンスが流れる。今からヨーロッパに向かうにつれて、どんどん日本語を聞かなくなるんだろうなと思った。

大韓航空の飛行機に乗って感じたのが、日本の飛行機と違って、あっさり出発した事だ。日本の飛行機は、なかなか出発しなくてイライラさせられる事が多い。それとも私自身の気持ちが高ぶって、時間が早く感じるのか。そう思い時計を見ると、ジャスト10時30分。
定刻通り飛び立った。
今回はまず福岡空港よりソウル空港へと向かう。
飛行機に乗って海外へと向かっているが、これから3週間も一人で旅をするという気が全くしない。

私は、ちまたでは有名な1人嫌いだ。1人で買い物に行くより、2人で行ったほうが楽しいし、1人で山に行くより2人のほうがおもしろい。
そんな私が一人で行こうと考えたのがおもしろい。
せっかくなら友達や彼女と行って共感したほうが楽しいと思う。それを誰よりもわかっておきながら気づいたら一人で出発。その答えは旅の途中でわかるのかなと。
そんな事を考えていたら、さっそく食事の時間。
乗る前に朝がゆセットとホットケーキを食べ、お腹はいっぱいでさすがに食べようとは思わない。
前方からドリンクのお姉さんがやってきている。韓国語でドリンクを聞きに回っているようだ。ビール、ジュースというのはわかった。調子にのってビールでも飲もうと考えていた。
前に座っている若い韓国人の2人組の男はジュースとコーラ。
そして私の番。
「お飲物はいかがなさいますか?」
あまりにも流暢な日本語でついびっくりし、
「ジュース」
と飲みたくもないジュースと言ってしまった。
この言葉の切り替えの早さ、一目で日本人と判断された事に驚いた。確かに自分も働いている時に韓国の方が入ってきたら雰囲気でわかるがこうもすぐ気づかれるとは思わなかった。
続いてワゴンのお姉さんが回ってきた。その女性も同じで私の横を通る時は日本語で声かけを行っていった。私は完全に日本の空気をまとっているのだろうと感じた。

機内食はサンドイッチと水。水はしっかりバッグに入れて持ち帰った。そういうところが私らしいなと感じた。出発する前に散々水には気をつけろと言われたからだ。

私は目の前にある雑誌を手に取った。どんな事が書いてあるのか目を通してみたところ、
全部韓国語と英語の表記。
そういう雑誌になると見るところは写真が中心になってくる。あとは英語を時間をかけて解読するしかない。しばらく読んでいるとパリのストリートシーンの事を書いている記事があったが読めない。やはり写真で判断するしかなかった。
そして、アーティスト情報のところにJAY-Zのインタビューと写真が掲載されていた。
JAY-Zがマンハッタンのような場所を背景に葉巻を吸っている写真と韓国語の文字があまりにもミスマッチな気がしておもしろかった。しかし日本語も同じなんだろうなと感じた。

その後、1時間ぐらいでソウル空港へと到着した。
早速おもしろい出来事が起こった。

オレンジ

「まえがき」
今回一人で20日間旅に行ってきました。
とても濃い旅で、その中で感じた事を自分なりに書いてきたので
この話を読んで私の旅を想像していただけたらと思います。
こういう長文を書くのは上手ではないですが、文も旅もヒロミチらしいなと感じてください。
それでは長編になると思いますが、お付き合いください。
宜しくお願いします。

2010年2月16日火曜日

帰国☆

無事帰国しました!!!!
全てが寝て起きたら夢の一日のようでした。
いろんな経験、いろんな感覚を学べました。
白紙のノートは足りないぐらい書いてきたので後日写真と
一緒にUPします。
是非みてください。