2012年11月26日月曜日
独立国家のつくりかた/坂口恭平
タイトルだけを見たら、遂にヒロミチもおかしくなったかと勘違いする方がいてもおかしくない。
無論独立国家を作る気なんてサラサラない。
ずっと気になっており最近の書物熱のタイミングにハマったのがこの本という事。
高城剛に少し似ている感覚を覚えた内容だった。
高城剛はどちらかというと先見の目を持って、情報を集めて、言葉を発しているような気がする。
それに対して坂口恭平は野性的というか、賭けというか。
もちろんそこには彼ならではの思考が前提にあり断定できるエネルギーが存在するわけで、考え無しではない。
すべては考える事が根底にある。
一つの物事を見るときに、一つの視点でみる「匿名化されレイヤー」これが今の社会を作っていて、無限にあるレイヤーに気づいていない。
実際僕が以前タバコを吸っていたが考え方を変える事によって次の日からタバコを吸いたいと思わなくなった。考える事によって変化をもたらした。
「考える」これは坂口恭平、高城剛、どちらにおいても同じ事が言える。
もちろんこの二人だけじゃない。
思考する事で世界はまったく別の相貌を見せる。
改めてその重要性に気づかされました。
2012年1月17日火曜日
デジタル化
シャワーを浴びながらふと思った事をメモとして書こうと思う。
デジタル化。
この題名を見ればわかると思うが、文字に書いてある通りそのまま。
今はデジタルが当たり前な時代になっている。
カメラ、メール、DJ...。
すごく便利で使いやすい。
そしてデータとして保存でき、場所を取らないし、作業効率もよい。
もちろんコストも。
しかし、それで失ってきたものがたくさんあるなと思った。
昔家族が撮ってくれた自分の写真。
画像すら悪いものの、温かさが伝わってくる。
しかし、デジカメになってからというもの滅多に印刷はしないし、シャッターを切る時にさほど思いが込められていないような気さえする。
使い捨てカメラを使いきって現像を待つあの楽しみは今はもうない。
DJも。
一枚一枚レコ屋に行って、視聴しまくって、少量の選りすぐりのレコードを買う。
そして家に帰って針を落としてミックスをする。
その当たり前だった事が今ではネットで視聴してデータ買うという時代。
昔みたいに曲に愛情が込めれなくなってしまった気がする。
それが自分がDJをやってきた中での一番の汚点かもしれない。
メールも。
昔は手紙でやり取りをしていた。その時の手紙は結構今でも大事に取ってるもんだ。
例えば、親から手紙が届くのとメールが届くのとでは同じ内容でも伝わり方が違うと思う。
またアナログな人間に戻りたいいう気持ちとデジタルな人間として、よりミニマムに今の時代を生き抜くという二つ。
どちらがいいというのはないんだろうけど、
やっぱり俺は仕事柄デジタルな仕事なので、矛盾してしまうかもしれないが気持ちはアナログな人間でありたいなと思う。
俺よりももっともっと昔の時代を生き抜いてきた人達はどんな感じだったんだろうと思いながらこの本を読んでみる。
2011年12月5日月曜日
キース・へリング
キース・ヘリングは、アンディーウォーホル、バスキアと共に80sアメリカを代表するアーティストであり、彼の絵は誰もが一度は見た事あるんではないでしょうか。
先日この美術館の情報を仕入れたので早速行ってみる事に。
元々コレクターだった中村和男オーナーのコレクションを中心に展示。
美術館にはサブウェイドローイング初期の物から、YAMAHAのバイクに描かれた作品、現代彫刻の作品等、キースワールドを楽しめる空間でした。
キース・ヘリングの美術館としては世界で一つだそう。
好きな人は一度行ってみるべきです。
ちなみに、そこで1994年にキース・ヘリングのイタリアで行われた展覧会のポスターを見つけて、譲って頂きました。
2011年11月10日木曜日
「For Everest ちょっと世界のてっぺんまで」 石川直樹
2011年11月9日水曜日
canon EOS60D × SPEEDLITE 430EX2
前から欲しかったのですが、GRユーザーとしてはなかなか踏み出せなかった....。
Canon 60D × SPEEDLITE430EX2
STANDARDなセットアップ。
+THE NORTH FACEのBC TOOL BOXにて決める。
TNFのカメラケースなのですが、これが使いやすい。
これから面白くなりそうです。
ここで、カメラ話を一つ。
前回群馬の神流に行った時、この一眼を持って取材をしてきました。
そこで山村体験の取材をしてきたのですが、大会の実行委員の方にそこまで案内してもらいました。
そこに着くと数十名の方が体験を行っており、実行委員の方が、
「すみません、カメラマンの方が来たので撮影します。」
とカメラマンという紹介をされた。
ちなみに僕は決してカメラマンと呼べるレベルではない。
ファンランという言葉があると同じようにファンカメラです。
といいつつもそういう紹介をされたからには、それらしい佇まいをしなければならない。
いつもより閉める脇、対して構図を計算できてないにも関わらず動き回ってポイントを探る、そして無駄にカメラをいじる。
それがまた自分でわかるぐらい不器用で恥ずかしかったです。
ま、慣れですね(笑)
その状況で撮った写真は後日アップします(笑)
2011年11月6日日曜日
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