2010年3月13日土曜日

FUJITO WORKCAP

最近は髪が伸びてもっぱら帽子被っていませんが、ずっと使い続けている帽子。
「FUJITO」のWORK CAP 。
山でも普段でも使っているCAP。
多分僕の頭に合ってるんでしょうね。
その他にもFUJITOデニムも旅で20日間連続愛用していい味でたので今度紹介します。

2010年3月11日木曜日

オレンジ #14

ノートを取りに戻り再びお店へと戻った。その時私は日本で友達より餞別で頂いていたステッカーをプレゼントしようと思い隠し持っていた。日本を出発する前に友達から気があうやつがいたらあげてきてくれといって頂いた物だった。彼にそのステッカーをプレゼントすると凄く喜んでくれた。なぜなら日本語のステッカーだったからだ。
私とブレリムはマップとノートを広げ、二人で話しながらおすすめの場所を記入し始めた。彼のおすすめは多かったためランキング付けしてもらう事にし、ブレリムおすすめNO.1スポットはP.ZZA NAVONAという広い広場だった。
その後もいろんな会話をして私はまた別の種類のビールを飲みいい気分になっていた。
私がおつまみを頼むとさっきのステッカーのお礼といってお皿一杯のピッツァを小さく切ったようなものを逆にプレゼントしてくれた。私は部屋にノートを取りに戻った際にもう1つイタリア語の本を持ち出していた。その本を頼りに英語とイタリア語を混ぜ合わせ私なりに伝えたい事を書いた。
「You venire japan. I accompagnare japan. Sono contento di averti incontarto. Ci vediamo」
「日本においで!私が案内するよ。あなたに会えてよかった。また会おう。」
という文を作った。めちゃくちゃな文だが彼には通じたようだ。
「私も同じです。また会いましょう。」
と彼も笑顔で答えてくれた。私は明日このYHをでる予定だったので、彼と連絡先を交換してサヨナラした。
私は部屋に戻り、ふと思い立ち、ブレリムに明日時間があるならローマを案内してくれないか?とメールを送った。しかし彼のアドレスはPCのアドレスだったためすぐに返信はなかった。
部屋に戻るともちろん昼間と変わらず寒いままの部屋で私以外誰一人として泊まっていなかった。この夜も私は寒さに耐えながら眠りについた。
翌日早めに起き、ローマを駆け足で回る事にした。YHで朝食を済ませいざ出発。
昨日お世話になった店を横目に余韻に浸りながらバス停へとむかった。
昨日とは違い天気もよく清々しい朝だった。
彼のおすすめランキング通りに行くと効率が悪いためYHから近い順に回る事にした。まずは、OTTAVIANOからメトロでFLAMINIOで降りた所のPiazza Del Popoloという広場へ向かった。
この広場はヴァチカン程はないがとても広く中央には高くそびえ立つ塔とサイドには大きな彫刻があり、それを更に輝かせるかのように太陽の光が差し最高の広場だった。観光スポットとして有名なのかは定かではないがここにも朝早くから沢山の人で賑わっていた。
その後その広場から繋がっているvia del corsoという道はおもしろいと聞いていたので進んで行く事にした。

2010年3月10日水曜日

サブウェイ123


久しぶりに映画を見ました。
出だしからJAY-Zのミュージックにやられました。
「交渉人」という映画が好きなのですが、それと同じように交渉しながら話が進んでいく映画。
アクション的要素とスリルがあり、それに加え人間臭さがなんとも言えない映画でした。
俳優はデンゼル・ワシントンとジョントラボルタ。
最後の最後までわからないそんな映画です。
是非見てください。

2010年3月9日火曜日

オレンジ #13

テベレ川沿いを歩き、この街の風景を楽しんでいた。
橋一つにしても全てが新鮮だった。巨大な彫刻ではないが橋の上に等間隔で建てられている像。
何色かと言われても表現するのが難しい川の色。川に関しては決して綺麗ではなく、日本で見る川とまた違っていた。
町を目的もなく歩いているとおもしろい看板を見つけた。
私のDJ名と綴りも一緒だ。ついつい写真を撮ってしまった。この看板はどうやら美容室のようだ。どうでもいいような事で少しテンションが上がり、そのまま道を歩き続けていると今度はケーキ屋の前で小さな子供がショーウィンドウ越しにケーキをずっと眺めている。映画で見るようなワンシーンだ。その子はお母さんと一緒だったがケーキを食べたくて仕方なさそうだった。その仕草を見ているとこっちまで幸せな気分になれた。
次に肉屋らしきものが目についた。
日本の肉屋のようにショーケースに入れるのとはまた違いここでは上から肉がつり下げられていて、お客さんはそれを自分が必要なだけ注文するとそれを切ってお客さんに渡す。日本と似ている部分もあるが、このディスプレイ方法は斬新かつシンプルだった。この野暮ったさが好きだった。
日本は衛生面等すごく細かい。確かにそれはとても重要な事だとは認識しているがこの国ではそこまで気を張っていない別の良さも感じ取る事ができた。
私は町を歩き回ったあとYHへ戻る事にした。
OTTAVIANOのYH周辺は何もなくあるのはバールぐらいだった。私はバールで晩飯を済ませようと思い、昼にお邪魔したバールへと向かった。
昼間いたおじさんはいなくサッカー選手のルーニー似の兄ちゃんが店番をしていた。私はパニーニとビールを頼もうと思い、パニーニはプロシュートが入ってるのを選び、ビールはコロナを頼もうと考えていた。しかしイタリアに来てコロナばかり頼んでいたのでイタリアでメキシコビールを飲み続けてもと思い別のものを頼む事にした。
「コロナ、ハイネケンは飲んだ事があるからその他におすすめのビールを教えてくれ」
そういうと彼は「CHERES」のSTRONG ALEというビールを出して来た。
私はそのビールを飲んだ事がなかったため、そのビールを飲む事にした。
少し癖のあるビールだがおいしくいただいた。
お店には私しかいなく、彼は私に話しかけてきた。
「どこから来たの?」
「日本だよ」
そう言うと彼は私に興味を持ってくれたらしくいろんな話をしてきた。
彼は自分の酒を持って私の席に来て気づいたら一緒に飲んでいた。
彼の名前は「ブレリム」
年齢は26歳、私の一つ下でギリシャの近く出身。ブレリムは大学生で日本の文化を学んでいて、日本が大好きだった。
彼は日本と言えば有名なのはマンガだと言ってた。私はマンガ通のためこれまた話は盛り上がった。ナルト・ワンピース・ドラゴンボール・レジェンド オブ ケン、これは北斗の拳の事らしい。
互いに始めて会った異国の人間であるにも関わらず会話をかわすたびに仲良くなり、私は彼にローマのおもしろいところを教えてくれないかと尋ねた。
しかし尋ねたもののそのときノートを持っておらず、ブレリムは紙ナプキンにいろいろ書き始めた。しかしそれには書きづらそうで私もいまいちわからなかった。そのため私は一度部屋に戻り、ノートを取りに部屋へと戻った。

2010年3月7日日曜日

fabien☆

フランス出身のファビアンが来福。
実はファビアンとは会うのは今回が始めて。
後ほどオレンジでも出て来ますが、パリでずっと俺をアテンドしてくれたジェレミ、オリビエ、アランの友人で福岡に来ると言う連絡をいただいたので今回は俺がファビアンをアテンド。
旅先でいろんな人にアテンドしていただいて普段観光では経験できない事をさせていただいたので今回は俺がお返しという事で、考えた結果本人の希望により飲み。博多を教えると書いてヒロミチと名前の通り博多の楽しい夜を満喫しました。
1件目は櫛田神社の目の前にある先輩が働いている「博多べい」
ここの馬刺、壱岐牛のステーキ、ゴマサバ、全て一級品です。
最高にうまいので是非足を運んでみてください。
ファビアンは日本酒ばっかり(笑)
その後ミツバチ経由のcafe tempoへ。
ここもいつもお世話になっている先輩のお店。
みんな酔っぱらって気づいたらショットで乾杯。
急な誘いにも関わらずみんな来てくれてありがとね☆
ファビアンは現在渋谷のチーズの会社で働いていて実家はフランスでチーズ屋を経営。3代目チーズボーイです。うまいチーズが食べたい時は是非ファビアンまで。

その後はモリ氏の友人の誕生日会にお邪魔。
半端ない誕生日会行われていました(笑)

結局朝方まで飲んで家に帰ってファビアンがまた飲もうという事になり家でも飲む事に。
二人ともかなり酔っぱらっていながらもまた飲んでました(笑)
次の日早起きして遊びに行こうと約束していたもののもちろん起きれるわけもなく遊びに行けず、軽くドライブのみ。
その後駅まで見送りしてファビアンとサヨナラしました。

いままで以上こういった遠くから来る人に対しての気持ちがわかるようになったのが改めて旅にでてよかったなと思いました☆

2010年3月5日金曜日

オレンジ #12

いつもだとノースのGORE-TEXウェアを着ているのだがこんな時に限ってYHのロッカーに置いて来ていた。それに追い打ちをかけるかのように友達から旅の餞別でいただいていたPUMAのお洒落折り畳み傘をバックにいれていなかった。そして極めつけには着ているものはダウンと最悪の雨の状況だった。私はしばらくしたら雨は止むだろうと思い、雨宿りも兼ねて、サン・ピエトロ寺院へ入る事にした。寺院に入るためにはジャケット・バッグ・ポケット内全てセキュリティの手によりチェックされた。私のベルトに反応して何度も何度も引き止められた。
ゲートを通過したあと、寺院の中へと向かった。その寺院は天井がとても高くそしてなによりもその空気感に驚いた。冷たく張りつめた緊張感と人々の優しさに包まれたような暖かさも兼ね備えたそんな空気だった。
サン・ピエトロ寺院は世界に約11億人いると言われているカトリックの総本山。
324年に聖ペテロの墓の上に創設され、歴代の教皇が葬られている場所だ。その他イタリア・ルネッサンスを代表する建築物としても名高い。
私は奈良の天理にある天理教の総本山へは行った事があるが、日本の木の文化とは真逆の石の文化でのこの建物はとても魅力的だった。
悩んだ時に椅子に腰掛け絵を眺めながらただそこにいるだけで天からの声でも聞こえてきそうだった。
寺院をでて外を見ると先程より雨が強くなっているではないか。このままではどうしようもないと思い、私は諦めて傘を買う事にした。ダウンが濡れてしまってはこれからの旅にも支障がでるし、なにより乾かすのが面倒だった。観光スポットでは黒人がすぐに傘を売りにくる。天気にあわせて違う物を販売していて、晴れていればおもちゃ、雨が降れば傘。
1人の黒人が声をかけてきた。
「傘いらないか?」
「いくら?」
「5ユーロ。」
「高すぎる。3ユーロ。」
「嫌。だめだ。4ユーロ。」
「じゃ、いい。」
「わかった!3ユーロでいい!」
といったやりとりで値切る事に成功した。それでも高いと感じていたが、私もなくては困ったためその値段で納得した。そして今にも壊れそうな傘を使い、雨の街を歩きだした。

2010年3月4日木曜日

オレンジ #11

32番のバスに乗り込んだ。しかし、日本と違い整理券のようなものはなく、どこから乗ったのか証明するものが一切ない。周りの人の動きも見たがみんな動きはない。乗客は黙って自由に好きな場所でお金を払わず降りていた。
私はイタリアのバスはタダなんだという認識をした。この国はなんて住民に優しい国なんだとこの国のあり方に感心していた。先程のメトロがどこまで乗っても1ユーロと安いから、バスがタダでもおかしくないと思い、ドンドン使おうと私の中で決定した。しかしこれには後ほど思わぬ落とし穴がある事を聞かされた。
無事にバス停を降りたがここでもいまいちマップをみてもわからない。
とりあえず歩こう。
YHを探し20分ぐらいさまよっただろうか。それらしい建物を見つける事ができた。中に入るとスタッフが誰もいない。ここは14時入室OKで私が到着したのが13時半だったため誰もいないのかもしれない。私は時間があったためYHの向かいあるバールで少し休む事にした。お腹が減っていたためピッツァを頼んだ。イタリアで始めて食べたピッツァは生地が固くて具がなかった。でもお腹がすいていた私にとってはすごくおいしく感じた。
軽く食事をすませ、時間になったためYHへと向かうと今度は2名のスタッフがいた。ピアスがめちゃくちゃ多いチャラチャラした兄ちゃんとサッカー選手にいそうな方だ。
私はこの兄ちゃん達と世間話をし手続きを済ませ、6人部屋のドミトリーである自分の部屋へと向かった。
私の部屋は23ROOMでこのYHの中で2番目に遠い部屋だ。部屋は前日のボロさとはまた違い、囚人の部屋のようだった。この部屋だけ冷房がかかっているのかと思うぐらい寒かった。
この部屋は誰一人として泊まっている気配がなかった。
一人でこの部屋にいるのはきついし、何も楽しみがない。このままでは駄目だと思い、部屋を出る事にした。
そう思いOTTAVIANOから比較的近いヴァティカンへと向かう事にした。本当は明日ゆっくり回ろうと考えていた場所だった。早速タダバスへと乗り込み移動した。バスでヴァティカンまでは乗り換えなしで行く事ができた。
バスを降りてしばらく歩いていくととてつもなく広い広場が目の前に現れた。
大きさを表現すると山門高校のグランドの4、5倍はあるだろうか。私の母校である山門高校のグラウンドを知っている人は数少ないだろうから別の物に例えよう。
瀬高中学校のグランドの・・・。悪ふざけはここまでにして、福岡ドームのグラウンドぐらいはある広場だ。
ローマに来てからは巨大な物に対しての感動の連続だった。都会の場所にこれだけ巨大な広場で巨大な建物がどんどん出てくる事に驚いていた。
しばらく広場を見渡しているとどんよりとした空から雨が降り出してきた。